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浜口陽三

はまぐち ようぞう
 

1909年 明治42年4月5日、日本有数の規模と伝統を誇る銚子のヤマサ醤油十代目の三男として、和歌山県有田郡広町(現広川町)に生まれる。父は南画を学ぶ一方、美術品収集家でもあった。6歳の時銚子に移る。
1912年 立教中学に入学するが、美術の道に進むことを決め、京華中学に転校。
在学中、洋画家・小林万作に絵を、彫刻家・建畠大夢に彫刻を学ぶ。
1921年 12歳で上京。
1927年 東京美術学校(現東京芸大)塑造科に進む。
1928年 19歳で国展に「首」とういう彫刻作品を出品。
1930年 東京美術学校中退、父の知り合いであったという梅原龍三郎の勧めもあり、渡仏。パリ、ドイツ、アメリカなどを転々とする。パリにて油絵、水彩、銅版画を独学(〜’39)。サロン・ドートンヌなどに出品。
1935年 ニューヨーク滞在(〜’36)。
1937年 パリで山口薫や村井正誠らと自由美術家協会結成に参加、最初の銅版画「猫」を制作。
1939年 第2次世界大戦が始まり帰国。
1948年 本格的に銅版画制作に取り組み自由美術展に出品。
1953年 再渡仏し、パリに居住。浜田知明らと日本版画協会創立。
1954年 第1回現代日本美術展で「ジプシイ」他が佳作賞を受賞。
1955年 ベルソーという器具を使って深みのある画面を創出、しかも微妙な諧調を持った独自のカラーメゾチントを開発、極めて個性的な世界を生み出している。
1957年 日本人として初めて「魚と果物」などでサンパウロ・ビエンナーレで版画大賞を受賞。
第1回東京国際版画ビエンナーレ展で東京国立近代美術館賞を受賞。
1958年 毎日美術賞受賞。ルガノ<白と黒>国際展で受賞。パリにて個展。
1959年 サンパウロ、トリノにて個展。
1961年 リュブリアナ国際版画ビエンナーレでグランプリと買上賞を受賞。ニューヨークにて個展。
1962年 ロンドンにて個展。
1964年 東京にて個展。
1966年 ポーランドのクラコウ国際版画ビエンナーレで特別賞、ワルシャワ国立美術館買上賞を受賞。
1971年 ワシントンにて個展。
1972年 ケンブリッジにて個展。
1977年 リュブリアナ国際版画ビエンナーレでサラエボ美術アカデミー賞受賞。
1979年 シカゴ、グレンヘン色彩版画トリエンナーレで作品60点特別展示。
1981年 長いパリ生活の後、サンフランシスコに移住。発表活動はほとんど海外で行った。
1982年 北カリフォルニア版画大賞展グランプリ受賞。
1983年 ニューヨーク、サンフランシスコにて個展。
1984年 ニューヨーク、サンフランシスコにて個展。
1985年 全作品を網羅した日本で初の回顧展(有楽町西武、国立国際美術館)。
1986年 勲三等旭日中綬賞を授与。
1991年 『浜口陽三自選作品集』(小学館)刊行。
1992年 西宮市大谷記念美術館において回顧展。
1995年 帰国、日本で制作を続ける。
2000年 平成12年12月25日東京・三王病院にて逝去(91歳)。
   
シカゴ、ボストン、サンパウロ、クラコウ、リュブリアナ、ジュネーブ、パリ、ワルシャワ、ワシントン他 世界各国美術館、図書館、大学、市、省など50数カ所に所蔵。戦後日本を代表する現代版画作家。エンサイクロペディア・ブリタニカにも記述のあるカラーメゾチントの開拓者。イタリア・アカデーミア会員。1984年のサラエボ五輪記念ポスターにも作品が採用された。夫人の南桂子も版画家。簡潔なフォルムの連続性のある構成、黒と鮮明な色彩の気品のある調和、特にさくらんぼ、ぶどう、レモン等の静物においては静かな透徹した美しさを秘める。その求心的な東洋的情趣をメゾチントでビロードの典雅な空間に結晶させる画風は他の追随を許さない。浜口のメゾチントへの最大の功績は、白と黒の精緻な表現であった長谷川潔のメゾチントに対して、カラーメゾチントを創始したことにあった。それはおおよそ2期に分けられる。まず1955年から4色4版といったような複雑版のもの。「パリの屋根」はこれに該当する。そしてもうひとつは、1963年以降の制作で黒を基調とした画面に鮮やかなコントラストをなすように色彩を配置するもの。「19と1つのサクランボ」がその作例。彼は身辺的な静物を多くの題材としたが、それが静寂に包まれたとき=空間に根源的な存在として息づくさまを認めるとき、私達はメゾチントという西洋的な技術によって東洋的な美意識が作品化されていることに気付く。